「タショウノエン」について

最近、何人も誤解している人に会った:「袖振り合うも他生(多生)の縁」。

「多少」ではない。勘違いの原因は二つある。まず「多少」と「他生」のアクセントが標準語では同じで、しかも意味が通ってしまう。第2に、この理由の方が重いのだが、輪廻転生を信じていない人が多いことである。

「多生(他生)の縁」とは、過去生の縁、つまり、過去生で出会っていた親子、夫婦、兄弟姉妹、友人、あるいは、敵、仇同士などだったという意味である。

江戸時代と違って、いまはすっかり寒々とした唯物的思考になり、死ねば終わりだと思っている人が多いから、多生、他生=過去生は思いつかないのだと思う。学生でも死ねばゼロになると思っているのが多い。そうすると、できるだけ生きているうちに、と生き急ぐことにもなりかねない。

袖が触れただけで、過去生で会っている、と昔の人は考えた。それなら、同じゼミナールに入るというのは、物凄い縁である。ゼミ生や私が、互いに、過去生や前世で会っているのは確実である(たぶん)。

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