追い出しコンサートについて

昨晩はゼミナールの追いコン(追い出しコンサート)だったが、歌舞音曲は一切なく、しめやかに行われた。昭和天皇が崩御されたとき、官房長官か誰かが、歌舞音曲は控えめに的なことを公的な場で言っていた。かなりの反発があったが、お笑いとかの番組もなくなったのではなかったか。少し行き過ぎだと感じた。故人もそういう状況は望んでいなかったと思う(たぶん)。

話は逸れたが、しめやかな中でも最も印象に残ったのは、A)パスタかラーメンか問題と、B)失笑恐怖症である。前者は、楕円形の皿に盛られた麺が出てきたが、ふと、なぜこれがパスタと言えるのか? という疑問である。拉麺かもしれないではないか(実際、拉麺ぽく見えた)。食べてみてはじめてわかるのか? 見かけはパスタだが、食べてみてとんこつ味だった場合、それは見かけとはうらはらに拉麺に「変わる」のか。パスタのような拉麺のような味がしたらどちらになるのか? などと考えたが、隣の四年生は味で決まると断言していた。

すると外見(パスタ)は名称(拉麺)と無関係になる。確かに女装していても、男なら男である。しかし、美輪明宏先生を男だと言い切るのは難しい。昔、ご自分で、私たちは「半分女」だからと言っていたからだ。男・女も明確に二分できるものではないのは今や常識である。また話は逸れたが、私としては「拉麺」の「拉」は引っ張るという意味なので(拉致の「拉」)、引っ張って麺を伸ばしていれば、バジルの味がしても拉麺と認めたいところである。

後者の失笑恐怖症だが、入試のとき、開始直前の数分間は受験生とお見合い状態になって気まずい。数年前、耐えきれず、万歳三唱をしたくなったときがあった。したら、驚くだろうなと思ったら、可笑しくなり、笑いを抑えるのに苦労した。それを、Y君が、たしか名前があると教えてくれた。それをパスタの四年生が検索すると、失笑恐怖症と出てきた。時々、電車で思い出し笑いに襲われるが、それもそうなのか。

しかし、私は笑うのが怖いわけではなく、万歳三唱したら驚くだろうなと思って笑いを「抑えるのに苦労」するだけである。葬儀で笑うのが怖い例が多いようだが、それには理由がある。だいたい、葬儀では元来、笑うようなアクシデントが起こるようになっている。僧侶が転ぶ、子どもがおかしなことを言ってしまう、何度も携帯が鳴る。

それはスピリチュアル的には、悲しみを和らげるため、死者のたましいがそれを仕組んでいると考えられている。死者で、あまり悲しんでもらいたいと思っている人はいないらしい。向こうも辛くなるからだろう。

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