区切りなのか運勢なのか

年の運、という。「年」は地球が太陽の周りを一回回る公転周期である。そんなぐるっと回るだけの規則的なものが、数十億人の複雑な「運命」に影響するはずがない。

まして、月の運なんていうのはナンセンス極まりない、と思う。禅宗の高僧も、公転と運に関係はない、と言い切っている(その僧侶の寺で、今年の運勢とかが書かれたなんとか暦が販売されていないことを願う)。

ところが、である。病気ばかりしたり、不運と思われることが多発した期間が一年近くあると、もうこれは今年限りで終わって欲しい、終わるはずだ、今年の運勢だったのだ、と思わなければつらい。大晦日とか、節分で、変な運が切れず、つながっていてはメンタル的に困るのだ。

ということで、続いた不運(に見えてもそうではないことがある)への対処法として「年の運」が便宜的に考え出されたのだと思う(将来、考えが変わるかも知れないが)。

年の初めも、考え方によって、節分、春節、元旦、3月20日あたりと4種類はある。もしかしたら、教育関係者の場合、新年は四月なのではないか。

運には関係がないが、区切りはメンタル的に必要である。

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