服装→肉体→たましいという流れ

スーパー銭湯などに行くと、もちろんみんな服を着ていないわけだが、その場合、裸体しか問題とならず、脱衣する前、どんな服を着ていたかは意味を持たない。

ヴェルサーチだろうとアルマーニだろうと、それはロッカーの中にあり、いま、目の前の裸体とは無関係だ。肉体だけの勝負になる。

では、その肉体の中、というか、肉体を包むたましいはどうかというと、やはり、肉体とは無関係である。

人間の本質に近づくとは、抽象度が増すことだ。

結局、人はたましいのクオリティの勝負となる。

見事な8頭身でも性格が歪んでいたらダメだし、腹筋が割れていても意地が悪ければ意味がない、ということを、美輪明宏先生は5、6歳のころ、銭湯の番台に座って悟ってしまったというからすごい。

見すぼらしい服の女性でも、それを脱ぐとマイヨールの彫刻のような見事な身体の人がいた、と。

それ以来、服はごまかしであると思うようになったらしい。そして、後年には、肉体もごまかしとはいわないが、それは見ずに、人のたましいだけを見るようになったという。



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