誤りを指摘することについて

違います、フジコ・ヘミングじゃなくて、フジ子・ヘミングです、などと、ちょっとした間違いも指摘しないと気の済まない人がいる。看過する、ということを知らないのだ(しかし、同僚に二人もいたのだが、「フジ子・ヘミングウェイ」というのを見逃していいのだろうか。私は大人なので訂正しなかったが)。

そういう、人の誤りに気づく秀才は頭も切れ、論理的である。逆に言うと、ネガティヴなことに敏感だという意地悪な見方もできる。いつもあら探しをしているメンタリティだと。

気づいても、私のように、(気が弱い、シャイであるなどの理由で)黙っていればよいが、誤りを、人のいる前で指摘して、恥をかかせたりして、そういう秀才は絶対に出世しない。

有能で、間違いに気づくが、指摘しないで黙っている、ないし、蔭でこっそり本人にだけ指摘する、といった「大人」が、出世する、官位の上に行くのは大昔から変わらないし、これからも同じだろう。人間の本性が同じ限り。

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