死んでわかる宗教

個人の宗教に関しては、亡くなってみて初めて分かることがある。葬儀に行ってみたら、カトリック教会だった、神道祭だった、という具合であるが、学者に多いのが、やはりキリスト教徒だった、という場合である。

ふだん、私はクリスチャンです、などとは言わない人がほとんどだろう(私は真言密教です、とよく言ってしまっている)。あるいは、え? あれでもキリスト教徒? と言われるのがいやなのかもしれない。

昔、クリスチャンの学生が、「それでもクリスチャン?」を略して「デモクリ」と言っていた。日本では、クリスチャンは模範的にふるまうことを期待されているのだろうか。堅苦しい生活になりはしないだろうか。



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この記事へのコメント

2009年06月26日 21:50
思いがけない人がそうだった・・・というの、ありますよね。
キリスト教に期待しすぎですね(笑)
2009年06月26日 22:49
・・・そう あるんですよね そういうケース(・_・;)

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